「ありのままの自分を受け入れる」が難しいと感じている人へ
ありのままの自分を受け入れ・認める感覚、どのくらいありますか?
ありのままの自分を認めてあげようというメッセージ、増えてきました。
でも難しいなあという声も、多く聞きます。
私たちは大人になるにつれ、ある条件を満たすことで・見えない期待に応えていくことで、
自分を認め、自分に存在価値があると感じられる、という状態になっていきがちです。
社会で常識と言われていることやメディアの情報、周囲の大人、特に親の言うことから、「こうすると
受け入れられるようだ」ということをキャッチして、無意識にそこに合わせていく癖がついて
いきます。
人とつながりたいと思うこと・受け入れられたいと思うことは自然な欲求なので、
「ありのままでいいよ」と言われても、すぐ変えられないのは無理もないことです。
時間がかかることがあったとしても、少しずつ自分を認めていくことは可能です。
ただし、「自分を受け入れるべき」「好きにならないと」と追い込まなくてもいいのです。
自分が受け入れられるために、期待に応えるために、みんな無意識に頑張っています。
たとえば常に正しい判断をするリーダーであろうとしたり、
成果をあげ続ける営業マンであろうとしたり。
空気を読み場を乱さない生徒、ミスをしない優秀な部下、面白くて頼れる先輩。
素直でいつも笑顔の後輩、優しく綺麗好きなお母さん、、、
はたまた会議でいい意見言える人とか。
クールで乱れない俺とか?何事にも手を抜かない努力家とか?
見ず知らずの人に思いやりを示せる正しい人とか。
規範・ルールを守る自分とかとか。
或いはそういう要素全てを兼ね備えている自分かもしれない。
理想や目標をもつことは良いのです。
でも、過剰にそういう物差しにとらわれてしまうと、
そういられない自分を感じたり そうできない自分になりそうになったとき、
不安になったり自己嫌悪に陥ったり、感情的に反応してしまったりします。
無意識に、そうなるシチュエーションを避けようともします。
なんだか疲れるのは、無理をしているから。
実際は、理想とする要素を持つ自分もいると同時に全然そうじゃない自分もどこかに存在しているわけです。
できることもたくさんあるし、我ながらいいヤツだと自分で思ったりもするけれど、
間違えることもあるし、元気ないときも優しくできないときもあるし、苦手なことも沢山ある。
イラッとすることもある。思うとおりの結果が出せないときもある。
アクティブな私も怠惰な私もいる。
天使も悪魔も、光も闇も、ひとりの人間の中にはいろんな要素がある。
実際は、本当にありのままの等身大の自分を受け容れることは、ほとんどの人にとって、そんなに簡単なことではありません。その前に、現実の自分を直視すること自体がとても難しかったりもするのが事実です。気を抜くとすぐに理想の自分を追いかけることや、自分の至らないことにばかり意識がいきがちです。
私たち人間にとって、”現実の自分を目を逸らさず受け入れ、健全な愛を注ぐこと”は共通の、かつ究極の課題なのだと思いますし、私も含めて死ぬまで取り組むことといっても過言ではないかもしれません。
それでも、少しずつ自分に優しくなれるほどに安心感が育ち、のびやかに生きられるようになります。他者にも同じように優しい気持ちになれます。
そういう人が増えれば、この世の中はもっと生きやすい場所になるに違いないのです。
なので、自分を慈しみ、本当に自分らしい手触り感と納得感のある人生を歩んでいきたいという人を心から応援して、一緒に歩んでいきたいと思います。